FC2ブログ

長崎暮らし 「長崎は今日も晴れだった」 

さすらいの木彫り屋kohadaの備忘録

Entries

佐世保旧海軍墓地 祖父の供養 





「戦争で死んだおじいさんの供養に佐世保へ行きたい」

電話で鹿児島の義母からそうきかされたとき

嫁いできてからの長い年月

義母がずっと心のなかでそのことを思い悩んできたことが察せられました

姑、義理の姉、癌で亡くした娘の介護に奔走した義母には

今の今まで そんな時間の余裕も 心の余裕もなかったはずです


おじいさん、とは義父の父 つまり うちの主人の祖父です


わかっていることは 鹿児島から佐世保の海軍に行った、ということと

昭和20年の1月8日が命日であるということ ただそれだけです

どこで亡くなったのか それすらわからないというのです

船が沈んだのですから お骨も何も帰ってきてはいません




まず、佐世保に旧海軍の何かが残っていないかを調べましたら

海軍墓地が整備され 保存会の事務所が置かれていることがわかりました

戦艦ごとに慰霊碑があり 戦没者の慰霊祭が行われているとのことでした

電話をして これこれしかじか 義両親の思いを伝えたところ

祖父の氏名、出身地を尋ねられ、調べますと言っていただきました


待つことたった40分 折返しいただいた電話で

祖父の最期が判明しました

戦没者名簿に 祖父の名前があったのです

当時の住所 死亡日 死亡時の年齢 すべてが一致していました



わかったことは次のとおりです

祖父は佐世保から門司に移動していたこと

魚雷や爆薬など軍需品を積み込んだ運搬船 辰洋丸に乗り組み

昭和20年1月1日に門司を出港したこと

軍需品や部隊を運ぶため9隻で船団を組み 台湾の高雄をめざしていたこと

台湾北西部に達したところで 1月8日 敵の襲撃にあい

他5隻とともに 祖父の船も沈没した、ということ


41年の生涯でした


この9隻の船団だけで 2662名の方が命を落としておられました

終戦の7ヶ月前のことです





義父は当時5歳

出征の時、手をつないでいたお父さんが

もう帰れもう帰れと 手をほどいて行ってしまったことだけは

覚えているそうです



義父と7つちがいの姉(主人の伯母)は

「帰ってきたら 白いごはんをいっぱい食べさせてやる」と

お父さんが言って出ていったことを覚えているのだそうです





佐世保から 祖父が祖母あてに送った便りです


201910262100422c7.jpeg


この葉書が着く頃は正月でしょう

私は今年は居りませんが 父母と仲良く話し合って

面白く正月をすませよ

子供のほしがる物は何とかして買ってやれよ

金はまた なんとかなるから




このはがきを書いた祖父は元旦に門司を出港し

その7日後 帰らぬ人となったのです






仕事の都合もあり 佐世保に行くなら10月の26日だな、と

主人が鹿児島に連絡を入れた時

義母は震えがきたと言いました

10月26日は 義父の祖父 つまり 戦死した祖父のお父さんの

祥月命日だったからです


こうなると 私達が長崎に転勤でやってきて

両親の佐世保行きが叶ったことが

何かに呼び寄せられた、そんな風にも思えてきました




かくして本日10月26日 佐世保の旧海軍墓地へ行ってきました

調べてくださった公園管理事務所の宮里さんが待っていてくださり

海軍としては佐世保にしかない戦没者名簿の原本を見せてくださり

そのコピーまでいただき

主人が船の名前から調べた 船団の資料、船の写真なども並べて

祖父のたどった足取りを確認しました

祭壇で「戦没者の霊」と書かれた位牌に手を合わせたあと

墓地にあるたくさんの慰霊碑を見て回りました




佐世保東山海軍墓地です


201910262050243e1.jpeg



20191026205258aed.jpeg



東郷平八郎   鹿児島県出身 連合艦隊司令長官ですね
20191026205102bf1.jpeg



201910262054075f7.jpeg



ここからは戦艦ごとの慰霊碑の一部です

遺族や戦友などの有志で建てられています


20191026205427848.jpeg



2019102620544133d.jpeg



20191026205548457.jpeg



「金剛」です
20191026205617460.jpeg



「那智」ですね
20191026205634fff.jpeg



20191026205657a78.jpeg



201910262057365ca.jpeg



「妙高」と書かれています
20191026205756816.jpeg



20191026205815976.jpeg



空母のうしろに駆逐艦4隻の碑があって
まるで航行する船団のようだと思いました

2019102620583475f.jpeg



「大東亜戦争戦没者慰霊塔」
20191026205919997.jpeg




20191026205937e24.jpeg






義母の思いはこれだけではおさまりません

宮里さんに 慰霊祭は必ずこちらに頼むというお寺さんを紹介してもらい

そちらで 今日が祥月命日のひいおじいさんと祖父の供養をしていただきました


そのあと 今でも海上自衛隊の船が停泊する岸壁にほど近い場所から

義父は焼酎をひとパック注ぎ込み

義母はお花、鹿児島のお米で作ったおにぎり、郷土のお菓子を海に投げ入れて

親族の写真を見せるようにかかげながら 4人しゃがんで拝みました



この海は 台湾の海とつながっているのだから

ああ、ほんと おじいさん 長い間すいませんでした

ようやく来れました と

義母がつぶやいていました






今回 義父母が長年の思いを遂げることができたこともさることながら

もう1つよかったなと思うのは

祖父が書いた手紙を読ませてもらい、出征の別れの様子を聞き

どのように亡くなっていったのか目の当たりにし

主人が おじいさんの無念を知った、ということです


主人が言いました

「今までは 拝みようがなかった」 と




無念を知る

それが1番の供養に思えてなりません


                         合掌





スポンサーサイト



Comment

合掌 

忘れたわけではない、精いっぱいの日々の中にあっても心の中の何処かにあった思いをようやく遂げられたのですね・・・義母様よかったですね。

御霊は海に沈めども、その息子は無事に成長して家族をもち、孫が誕生して命が繋がってゆきました。
更には孫が結婚して、その御縁で今回の運びとなったことを思うと、御祖父様の無念が幾ばくか薄らいだようになったのではないかと思います。

また、
こはださんが義母さんの思いを受け止めたことに深く感じ入りしました。

そして、
海軍は戦艦ごとに慰霊碑があり 戦没者の慰霊祭が行われているとのことを知りませんでした。
海軍では手厚くして頂いているのですね。陸軍では大変無残なことも・・・
母方の祖父は陸軍に招へいされ、南方へ赴きました。マラリアにかかったのですがなんとも幸運なことに野戦病院へ行くことができ、そのまま戦勝終結を迎えました。
そして生きて再び母国へ帰ることができたのです。
そのおかげで、母たちは困窮することなく、兄弟も教育を受けることができました。

戦争が無い世の中に生まれて育ち、子を育てられたこと、戦場へ息子をいかせなくてすむことに感謝の気持ちが改めて湧き起きおこりました。



  • posted by きこ 
  • URL 
  • 2019.11/07 15:46分 
  • [Edit]
  • [Res]

きこさま 

きこさん、ありがとうございますm(_ _)m

身内の話で恐縮でしたが、
佐世保に至った経緯の記録と また
分かち合える方もおられるのではないかという思いで
ここに書いたしだいです

台湾の海で亡くなった祖父にもきっと
息子家族の気持ちは届いたのでは...と思います

私の実の祖父は戦地へは行っておりませんが、
祖父は弟一人を戦争で亡くし
もう一人の弟は戦地から無事帰ってきました

若い頃は 戦地を経験した身内がいたのにもかかわらず
自ら多くを知ろうとはしませんでしたが
この歳になり、親への思い、子への思い、人の無念が
わかるようになってきました
義父母の願いを元気なうちに遂げさせてあげたい、と強く思ったのも そのお陰です

本当におっしゃる通りで
戦争のない世の中に生かされていることに
改めて感謝ですよね
  • posted by こはだ 
  • URL 
  • 2019.11/07 21:10分 
  • [Edit]
  • [Res]

NoTitle 

人が人を想う気持ちはいつの時代も同じですね。
お祖父様は家族を、お義母様はお義父様を、
旦那さんのお祖父様への想いやその親子を一番近くで見ているこはださん…。
他人の私でも心にくるものがありました。
戦争を身近に感じる世代ではありませんが、事実としてそういう時代があったこと、その時代を生きた誰しもに色濃い人生があったことを強烈に感じます。
お義母様の願いが叶って良かったです。
  • posted by かよ 
  • URL 
  • 2019.11/11 14:42分 
  • [Edit]
  • [Res]

合掌 

涙が止まらないです。
長年の願いだったのでしょうね。良かったです。
合掌

かよさん 

かよさん、温かい言葉を寄せていただき
ありがとうございます

佐世保海軍墓地だけでも17万人を超える方々が
祀られていますが
ひとことで17万人と言うにはしのびなく
おっしゃる通り、一人一人に色濃い人生があったのだと
改めて思い知らされる経験でした

まだ祖母が生きていた頃、冠婚葬祭何かで東京へ行ったことがあったそうで
揃って靖国神社へお参りしたところ
そこで突然 祖母が号泣したのだそう…
それを見て義母は
「普段口には出さなかったけれど、やっぱりおじいさんのことが心残りなんだなと思った」と

生活に追われてそれどころではなかった祖母
何もかも面倒をかけてきた妻に 父親の供養など言い出せなかった義父
そんな姑や義父の気持ちを慮ったのが義母でした

本当に 佐世保へ行けてよかったです
  • posted by こはだ 
  • URL 
  • 2019.11/12 09:29分 
  • [Edit]
  • [Res]

プリティーカフェチューリップさま 

ご無沙汰しております
お元気でいらっしゃいますか

読んでくださってありがとうございます

私のこの言葉たらずの表現の乏しい文章から
すべてを汲み取っていただいたのですね

本当に 温かいお言葉をありがとうございます
これからもしっかり供養していきたいと思います
  • posted by こはだ 
  • URL 
  • 2019.11/12 09:37分 
  • [Edit]
  • [Res]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

ご案内

プロフィール

こはだ

Author:こはだ
2014年10月
関西から主人の赴任先新潟へ
2018年4月
転勤に伴い今度は長崎へ
主人と二人暮し
本当はネコと暮らしたい

2017年より木彫作家として活動
屋号 kohada worksで
インスタもやってます
@kohada.ogj
#kohadaworks

最新記事